学士(理学・理学)という選択

最近、東京大学理学部から二度目の卒業をして、いわば学士(理学・理学)となりました。 (特に東京大学では)学士入学の制度を上手に使うと、時間効率よく多分野の専門性を身につけることができ、とても楽しく過ごせます。 誰にでもおすすめできるルートではありませんが、誰かの参考になるかもしれないので経験をまとめておきます。

自分の大学以外の制度や実情は知らないので、この記事は主に(進路に迷ったり、後悔したり、新しいことを学びたいと思っている)東大生向けの内容になります。

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わたしについて

※個人的なエピソードですので、読み飛ばしてもらって差し支えありません。

わたしは2010年に東京大学理科一類に入学し、前期課程では建築や分子生物学等も面白そうと興味を幅広く持ちながらも、周囲の優秀な人達の多くが物理学科や数学科に向かうのを見て、自分は自分なりに得意な方向であるコンピュータで活動しようと理学部情報科学科(IS)に進学しました。

情報科学科では目立って優秀な学生ではありませんでしたが、不完全性定理からコンパイラの設計まで計算と論理の基礎を学ぶことはとても楽しく、またB2の頃からERATOで研究補助員としてHCI分野の研究に参加させてもらい、充実した過ごし方をしていました。

卒業後はそのまま情報科学科の上の修士課程(コンピュータ科学専攻)に進学し、HCIの研究を続けることにしました。 卒業研究で開発したAnnoToneの論文をトップカンファレンス(CHI)に通すことができたりとある程度順調な研究生活の滑り出しでしたが、M1の夏ごろから、物理学をやらなければという信念が急に強まるのを感じていました。

SIGGRAPHなどで発表される一部のCG系の論文、とくにレンダリングや物理シミュレーションに関するものを読んで全然理解できなかったことがきっかけだったような記憶もありますし、21世紀に生きていてインターネットを使わないのはもったいないことですが、20世紀に輝かしく発展した物理学の内容を知らないまま生きていくのは同じくらいにありえないというような強迫的な感情もあったと思います。

物理を学ぼうと思ったとしても、CG/HCI系の院生として研究に必要なトピックだけ勉強するというのが賢く普通のやり方かと思いますが、折角だから一から全部やりなおそうと、物理学科に入り直すことにしました。 安直な変身願望に過ぎないのかもしれない、学問や研究に携わりたいのではなく理論体系を鑑賞したいだけなのではという自問もありましたが、コンピュータの世界でどうにか上手にやっている自分と、物理への転向という選択をした自分のどちらを好きになれそうか考え、後者を取ることにしました。

2016年3月に修士(情報理工学)を取得し、4月に理学部物理学科に学士入学、2014年度入学の同級生たちと一緒に2年間の専門課程を過ごして物理を学び、この春からは東大大学院理学系研究科物理学専攻に進学して、主に量子物理の研究を行っていく予定です。

学士入学と東大の教育システム

学士入学は、すでに学士号を持っている人が2年次や3年次に編入学できる仕組みで、多くの大学が備えています。 東京大学では学士入学に関して学部ごとに異なるアドミッションポリシーを採用していますが、理学部には本学出身者で、かつ各学科への進学資格があったものが*1受験資格を持ちます。 文学部や法学部では東大以外の大学出身者も学士入学可能のようです。

参考: 編入学者・学士入学者の状況 | 東京大学

東大と学士入学との相性が抜群に良い点として、教養学部が存在し、そもそも専門課程が2年間しかないため、3年次編入でもその学科のカリキュラムを余すことなく、かつ留年の必要もなく享受できるということがあります。 もちろん、学士入学者にも通常の進学者と全く同様に授業や実験への参加資格がありますので、東大ならではの非常に恵まれた環境*2において、2年間という短期間である程度の専門性を獲得する*3ことができます。

なお、注意すべき点として、専門課程は2年間だけと言っても2年生の後期科目(いわゆる4学期科目)の単位は取得しなければ修了できません。 わたしは学士入学前のM2のとき、修論を執筆する傍ら駒場に通って全科目の単位を取得しました*4が、人によっては入学後3,4年生をやりながら並行で取得する必要が出てくると思います。 この場合留年の必要もあり得ますので、事前に教務等とよく相談しておいた方がよいでしょう。

ちなみに、過去の取得した単位のうち、以前の学位の卒業単位数を超える分については教務の判断の上で新しい学科での取得に振り替えることができます。 わたしはこのシステムを使うことで、取得すべき科目数をかなり減らすことができました*5

出願と学士入学試験について

理学部の場合、出願用紙は10-11月頃になると理学部1号館1Fの事務局で配布を始めますので、直接取りに行けば大丈夫です。

ただ、上記4学期科目履修の件や取得済み単位の移行可否など、事前に話しておいたほうが良いことが必ずありますので、できれば秋学期が始まる前の夏頃には一度、入学を希望している学科の教務に連絡を入れて相談することを強くおすすめします*6

入試は学科や年によっても内容が異なると思いますし、あまり詳しく書いていいのかも分からないのですが、2月上旬に筆記試験と面接があり、前者は物理学の基礎的な知識や計算能力を問う問題*7が出題され、後者では学士入学の動機や今後の進路に関する考え、興味のある研究分野などについて質問をされました。

面接では5,6名の(有名な)教員の方々に囲まれての対話となり、緊張しましたが非常に贅沢な時間に感じたことを覚えています。

学費など

学士入学者も学費は通常の学生と同様で、年間約54万円の授業料が掛かります。 また、東大別学科からの学士入学でも入学金は全額(約28万円)必要になります。

その他にも生活費含め、当然学生として暮らすお金は掛かりますが、大学院に比べると受給できる学内外の奨学金制度は大分少ないと思います。 わたしは修士のときに少し貯めたお金を崩したり受託開発やアルバイトをしてやっていっています。

なお、授業料免除・支払猶予については、所得基準を満たしている限り特に劣後の対象になることはないようです。

メリットとデメリット

メリットはすでに上にも書いた通り、優秀な同級生とともに専門課程の教育を2年間でフルに受けることができ、比較的短期間で新たな専門性を得られるという点に尽きます。

デメリットとしては、もちろん最少で2年、わたしのように修士を取ってからの場合は4年分、ストレートで進学するのに比べて学年が遅れることになりますので、例えば就活しようと思ったときに新卒採用枠から外れるとか、その後の思わぬ困難に出くわす可能性は覚悟したほうがよいでしょう。 当然、就職の時期も遅くなりますから生涯収入もいくらか減少するかもしれません(もちろん、複数の専門性があることによってより良い職が見つかる可能性も考えられますが)。

わたしは民間就職するとしたらあまり年齢が重視されない種の技術者として働く可能性が高そうなので、ある程度リスクは小さく見積もれるものと考えて思い切った判断をしましたが、もちろん誰しもにおすすめできる選択肢ではありません。 しかし、学問に触れることが好きでたまらない人であればそれだけの見返りは期待できます。

なお、わたしのように修士を取ってから学士入学すると、その後大学院に出願するときは制度上は博士後期課程に直接進学することができます*8。もっとも、研究室に入って3年でPh.Dを取れるひとはなかなか多くないと思いますが。

最後に

東大理学部では情報科学科のみ学士入学を受け入れていませんので、一つ目に取るにはISはおすすめです。 せっかくフォン・ノイマン以降の世界に生まれたからには、量子力学も体得したいし、CPUも作りたいと思いませんか。

*1:文科系在籍者も、現在の学科に籍を置きつつ前期課程理系科目を履修することで受験資格を得ることができた例があります。詳しくは各学科に問い合わせてください。

*2:少なくとも物理学科では!

*3:学士号を取った程度でどれだけの専門性と言えるのかという話ではありますが、当然その後のキャリアは大きく左右するでしょうし、新しい景色が見える程度には大きな経験であることに違いありません。

*4:他にも、物理学科から他学科への学士入学予定の友人がB4の冬学期に同じことをしていました

*5:もちろん、その学科で学ぶ上で取るべき授業は取るべきですが、単位数に煩わされなくてよくなると思いのほか気分が楽になります。

*6:憶測ですが、事務側としても「入試」を実施するにあたっては複数の教員を組織して入試委員会を開いたりする必要があるはずですので、十分早くから相談したほうが絶対に迷惑になりません。

*7:前期課程の各物理科目から4学期程度の内容

*8:わたしは迷った末、とりあえず二つ目の修士を取ることに決めました